秦郁彦の「慰安婦と戦場の性」の知られていない事実(2)

秦郁彦が1999年に出版した「慰安婦と戦場の性」という本はどの位読まれているのだろうか?しかし、明らかにこの本には知られていない事実がある。まずはこの林博史氏の記事を読んで頂きたい。
 http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper44.htm
林博史秦郁彦慰安婦と戦場の性』批判、週刊金曜日、290号、1999年11月5日)

この本は、ずさんな仕事の代表的なケースでしょう。この小文でも紹介したような、写真や図表の無断盗用、資料の書換え・誤読・引用ミス、資料の混同、意味を捻じ曲げる恣意的な引用・抜粋などの例をリストアップしてみたのですが、膨大な量になりあきれてしまいました

秦郁彦の「慰安婦と戦場の性」には写真・図版の無断使用(盗用)、無断改竄があるのはこれ以前に前田朗氏が雑誌記事(秦郁彦の「歴史学」とは何であるのか?、戦争責任研究、2000年 春季)で指摘しており、林博史氏はそれを受けて書いています。前田氏はこれらの無断使用について新潮社に問い合わせ、実質的に新潮社は認めたと書いています。前田氏の指摘は結局、著作権・肖像権の侵害という権利関係であり、秦郁彦の本については伝聞・憶測・捏造による本であるとまでにとどまっています。

秦郁彦の本のどこが問題なのか?

しかし林博史氏の指摘はより具体的で厳しく、秦郁彦の「慰安婦と戦場の性」で資料の恣意的な解釈が行われ、記述が如何に加減であり、記事の信頼性が低いかという厳しい批判になっています。


(1)学者とは思えぬ引用資料の細部改竄

資料の扱いもずさんさである。たとえば、1938年に内務省が陸軍からの依頼をうけて慰安婦の徴集の便宜を図った資料がある。この本では内務省警保局の課長が局長に出した「伺い書」が、内務省から各地方庁への「指示」に化けている。さらに5府県に慰安婦の数を割当てているが、その人数がでたらめで、資料では合計が「400人」になるのに、氏の数字では「650人」とされてしまっている。引用も言葉を勝手に変えたり、付け加えたり、およそ研究者の仕事とは思えない(「慰安婦と戦場の性」のp56)。


(2)資料の細部改竄と意識的な読みかえによる、持論への無理な根拠付け

ビルママンダレー慰安所資料がある。−秦郁彦氏はその中の規定の一部を取り上げ(これも適当に書換えているが)、「兵士の乱暴や業者の搾取から慰安婦を保護しようとする配慮が感じられる」(「慰安婦と戦場の性」のp120)と解釈している。しかし原文は「慰安所に於て営業者又は慰安婦より不当の取扱を受くるか或は金銭等の強要を受けたる場合は直ちに其の旨を所属隊長を経て駐屯地司令部に報告するものとし如何なる場合と雖も殴打暴行等の所為あるへからす」となっている。


これを素直に読めば、業者や慰安婦が兵士に対して不当な取扱や金銭等の強要をおこなった時の対応の仕方について記した条文であることは明かである。慰安婦が軍によって保護されていたと言いたいために、原文を正確に引用することを避け、そう結論付けたのだろうか。


(3)都合のよい部分だけを引用する事で、間違った結論を出す
その1

西野瑠美子氏が下関の元警察官に聞き取りをし、済州島での慰安婦の狩り出しについて「『いやあ、ないね。聞いたことはないですよ』との証言を引き出した」(「慰安婦と戦場の性」のp242)と元警察官がはっきりと否定したかのように書いている。−西野氏の本ではその引用された言葉の後に「しかし管轄が違うから何とも言えませんがね」と続いている。証言者は、自分は知らないが管轄が違うから断定できないと謙虚に話しているのだ。ところが秦氏は後半をカットすることによってまったく違った結論に導こうとする。

その2

シンガポールにおいて軍が慰安婦を募集すると「次々と応募し」「トラックで慰安所へ輸送される時にも、行き交う日本兵に車上から華やかに手を振って愛嬌を振りまいていた」という元少尉の回想録を引用している(「慰安婦と戦場の性」のp383)。ところが原文ではこの文のすぐ後に「ところが慰安所に着いてみると、彼女らが想像もしていなかった大変な激務が待ちうけていた」と続き、さらに部下の衛生兵の話として、「悲鳴をあげて」拒否しようとした慰安婦の「手足を寝台に縛りつけ」、続けさせたと話が続く。秦郁彦氏はなぜかこれらの部分はカットしてしまう。

その3

慰安婦の人数について−の論拠として陸軍省の医事課長だった金原節三日誌を使っている。この日誌の1942年9月2日の項に計400ケ所の「慰安施設」を作ったという記述が出てくる(「慰安婦と戦場の性」のp105、p400)。秦郁彦氏はこの400という数字が「所在地なのか軒数なのかが、必ずしもはっきりしない」と−言いながらすぐ後に“軒”と見なして計算してしまう。そうすればはるかに少ない数字が出てくるからだろう。


これらの細部改竄・部分引用・読み替えが何を意味するかについて林氏は

秦郁彦氏が頭の中で作り上げた「事実」が一人歩きしているようだ。
単なるミスではすまされないような問題が数多くある。

とまでしか書いておらず、秦郁彦が資料を都合よく使うことで嘘をついているとまでは書いていません。それは秦郁彦がこの本で明確に主張したのは巻末の7つの項目であり、もちろん反論はあるもののそれ自体はまあまあ許容範囲内だったからでしょう。しかしその他の本文では秦郁彦は歯切れの悪い、曖昧な文章で、慰安婦が職業的な売春婦であり、吉見義明らの研究が間違っているという印象を読者に残そうとしていたという事だったと思います。


今2007年にこの記事を見直すと、これは産経新聞とその記者ブログが現在やっていることだと気づかされます。すなわち、

  1. 自分の都合のよい資料だけを何回も使う(古い新聞記事の再掲、河野談話発表時期の政治的経緯、新しい研究を無視した古い米軍資料の再掲)
  2. 資料の中で都合のよい一部分だけを引用する(従軍記事の中の小さな慰安婦の記事の掲載、米国議員の知識のなさだけの強調)
  3. 細部で嘘をつく、改竄する(RAA設置に関するAP通信の誤訳、米軍訊問調書の一部分だけの掲載)
  4. 通常の解釈をはずれねじ曲げて解釈する(米軍資料の解釈の逸脱、本質的には日本に批判的な韓国学者を日本政府支持として紹介)

その後慰安婦従軍慰安婦)に関する研究は進み新しい資料や証言が多く発見・検討されています。慰安婦従軍慰安婦)という歴史的事実の説明という点では1999年までの資料しか見ていないの秦郁彦の「慰安婦の戦場の性」はもはや古い本であるのは明らかです。しかしそこで使われた「騙しのテクニック」は困ったことに今も産経新聞で生きています。本当に嘆かわしい事です。

・・・更にこれには新発見がはてなダイアリーで指摘されている。
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070817/p1