神嘗祭を復活させよう(黒い笑いです)

朝日新聞のasparaクラブに入会しました。朝日新聞の記事「100アンサーズ」に非常に興味深い意見があって紙面に載っていないものも含め全部を読もうと思ったからです。

まずはこれから、
質問:「国民の祝日」を自由に変えられるとしたら、どうしますか?(2008年4月27日掲載)

原武史明治学院大教授・天皇研究)

天皇宮中祭祀を行っていることを国民に周知徹底させ、

 戦前と同じように、勤労感謝の日新嘗祭春分の日を春季皇霊祭などと改める。

 また成人の日や体育の日を廃止し、神武天皇祭、神嘗祭などを復活させる。ブラックユーモアですけど。

現在東京都の学校では、始業式などで教員が日の丸に起立し、君が代を歌わないと、譴責され首になるおそれがあります。また職員会議では、自発的に意見を述べることは、慎むべきものとして禁止されています。


なぜ国は「日の丸」「君が代」にこだわるのか?
今まで私には理解できませんでした、まあ国旗・国歌の定めが曖昧だったから、とあてずっぽうに考えていました。国や都も、国歌や国旗をあげるのはあたりまえという曖昧な理由しか言いませんでした。


しかし、最近の勉強でこれは国家神道の復活であるという確信を得ました。いや別に私が発見したわけではなく、東大の宗教学教授・島薗進氏の宗教学関係の論文を読んだだけです。そして既に同じ感覚で現在の日本を分析している原武史氏の発言が、上記だったのです。原武史氏は最近「昭和天皇」という岩波新書を出し、そこで戦時中昭和天皇がいかに神道儀式を大事にし、その母親(大正天皇の妻)が神道を狂信したため影響を与え終戦判断(=神である天皇の敗北を認めることになる)を困難にしたことが述べられています。そして原氏は現在の天皇神道儀式への態度は昭和天皇と同じだと書いています。


実は国家神道は何であったかが、戦後60年あまり触れられてこらず、あいまいな天皇への尊敬のみが押し付けられてきました。しかし60年たった今、日本会議などの右翼はこのあいまいさを利用し、逆に国民を精神的に馴化するため国家神道を復活させようとしているようです。(にわかには信じがたいことですが!)


この背景には安部晋三が最も代表的ですが、彼ら現在の自民党指導者層が戦前の官僚などの指導者層をその祖父などとして尊敬する人々で、戦前の価値観を正面から肯定する人たちだからです。彼らは武力による他国への圧力(つきつめれば戦争です)を悪い事だと思わず、従って日本を戦争を出来る国にしたい。そしてこの関係からその上で旧日本軍が犯した悪行を歴史から消去したいようですね。そのため従軍慰安婦の強制募集や「集団自決」の真実などを否定したいようです。


こうした流れで今の動きを見れば、南京大虐殺の否定、従軍慰安婦への人道侵害の否認、「集団自決」の真実の否認の次の彼らの運動ポイントは、過去の国家神道による精神的強制の否定とその復活なのでしょう。


とりあえず頭記に対応する見方は以下です。

・戦前の御真影への崇敬 → 今現在学校で行われている国旗・国歌の強要は同じ事を意味している


・戦前の国家神道に基づいた祝日を国民全体が祝うこと → 今現在の昭和の日、建国記念日などの存在は曖昧な既成事実として、国民に国家神道が強制させられていること


では国家神道とは何だったのか?なぜ今、復活と言えるのか?それをこれからだんだんと書いていきたいと思います。


参考:東大教授・島薗進氏サイト「国家神道は解体されたか?」http://free.jinbunshakai.net/shimazono/index.php?itemid=77