元従軍慰安婦の証言は信用できるのか?(1)

従軍慰安婦従軍慰安婦問題)とは朝日新聞の捏造なのか?慰安婦の証言は怪しいのもので信用できないもの、検証が必要なのか?慰安婦の証言は真実を語っているのでしょうか?証言に変遷・変化はあるのでしょうか?これらに対する答えを出すため元慰安婦の一人一人の証言を見てみましょう。月刊DAYS JAPAN(2007年6月号)では100人もの元慰安婦従軍慰安婦)の顔写真とその恐ろしい経験が掲載されていて圧巻です。これにならって、100人?の従軍慰安婦の証言を掲載しようと思います。


第1回は、特攻隊員を見送り、女性国際戦犯法廷や米国下院で証言し元気な李容洙(イヨンス)さんです。 以下は主に「証言・強制連行された朝鮮人慰安婦たち 韓国挺身隊問題対策協議会 明石書店 1993」から作成しました。


<李容洙(イヨンス)さんの慰安婦として強いられた経験>

  • 1928年12月:韓国の大邱(テグ)生まれ。
  • 1944年秋(満16才):貧乏な様子におばさんから働けと勧められ、「軍服みたいな服を着た男」(国民服に戦闘帽の男の日本人)に服と靴で釣られて働けるものとついて行った。大連から船に乗った。
  • 1945年(17才):新暦の正月、爆撃下の船上で強姦される。台湾の新竹に到着したが股に腫れ物ができて血がべったりついていて歩けない。嫌だと言うと慰安所の経営者に電話線のコード巻き付けられ拷問された。トシコという名で主に特攻隊の相手をした、ある人は自分から性病を移された「その病気を私からの贈り物だと思って行く」と歌を詠んでくれた。

幹候離陸よ、新竹はなれ
金波、銀波の雲のりこえて
連れだって見送る人もなけりゃ
泣いてくれるのはトシコひとり

 (注:幹候とは幹部候補生のこと)

  • 1945年8月(17才):朝鮮人の人が終戦だと教えてくれた、経営者はもう逃げていなかった。埠頭にある収容所に行った。麦が青い芽を出す頃(11月頃)家に帰った。
  • 現在はナヌムの家に住む。

李容洙さんの証言についての付記

李容洙さんの証言の信憑性については、1993年、ソウル大学教授の安秉直ら「挺身隊研究会」が慰安婦と名乗り出た女性らに聞き取り調査を行い、その中で証言がしっかりしており信憑性の高いものとされた中に入っており信用できます。『私たちが調査を終えた19人の証言は私たちが自信をもって世の中に送り出すものである。(略)証言の論理的信憑性を裏付けるよう、証言の中で記録資料で確認できる部分はほとんど確認した。』としており、ここでは信用できない証言は含まれていないのです。


一方秦郁彦は雑誌記事(諸君!2007年5月号)で李容洙さんの証言から、慰安婦になった経緯は民間業者の甘言、朝鮮人による騙しによるものであり官憲による強制連行ではないと鬼の首をとったように書いています。しかし元朝鮮人慰安婦43人分の証言を調査分類した尹明淑*1による分類では、このケースは「詐欺誘因」となっており秦と同様強制連行(拉致)にはなっておらず、秦郁彦の突っ込みは実はなんの意味もないのです


従軍慰安婦従軍慰安婦問題)とは朝日新聞の捏造ではありません慰安婦の証言が毎回変わるとしてきちんと何が違うと指摘した人はいません。秦郁彦はごく曖昧に疑問を提示しただけです。最近の研究では複数の調査者が何回も聞き取りをして、文書などほかの資料で確認できるものはきちんと確認しているからです。証言が怪しいと言う人でこうした証言集(調査資料)を読んだ人はいないでしょう、読んでいればこんな疑問があがるはずがありません。従って現在伝えられているものは検証が済んだものと言うべきです。

慰安婦の証言は我々が預かり知らぬ過去の真実を語っています、そこでは今ではまったく信じられないような事が平気で起こっているのです。月刊DAYS JAPAN(2007年6月号)の100人もの元慰安婦従軍慰安婦)の顔写真とその短いけれど恐ろしいその経験を読むと、我々日本人が過去に本当に過ちを犯した事が伝わってきます。

*1:「日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人軍隊慰安婦 尹明淑 明石書店 2003」、最新の慰安婦研究書一橋大学の博士論文を出版したもの