教育勅語(教育ニ関シテ下シ給ヘル勅語)

国家神道の教義は教育勅語であるといわれています。いわゆる救済宗教に親しんだ現代人の感覚からは不思議に思われるでしょう。しかし、国家神道がその成立の初めから国家が意図的に設置したものであり、その基軸が複雑な観念体系でなどではなく、天皇への崇敬を柱とするものであった為、こうした現われ方をしたようです。
 逆に言えば国家神道とは、国民に「ある道徳観念」を植えつけようとする教育そのものともいえましょう。ではその道徳とは何か?です。以下に教育勅語の現代語訳とその原文を示します。

教育勅語の現代語・私訳>

私、天皇は、以下のように国民に道徳を与える。わが天皇家の祖先ははるか以前から日本国を支配してきており、その中で国民が守るべき意味深い規範を、次のようなものとして示してきているのだ。すなわち


日本の国民たるものは、代々、皆一致団結して、天皇に忠孝をつくすべきである。これが天皇支配国家である日本国を支える真髄であり、日本国民が教育で学ぶべきことである。


お前ら国民は、まず父母に孝行し、次に兄弟と仲良くし、その次に夫婦仲良くし、そして友人と信じあい仲良くせよ。慎みをもって人に接し、他人には博愛で接し、よく学び仕事を覚えて自己啓発につとめ、良い行いをなして優れた才能を発揮しなさい。
 そしてひいては日本国家のためにつくしなさい。すなわち国民の義務をよくはたして、皇室典範大日本帝国憲法を大事にして法律を守り、戦争など非常事態になれば、天皇を中心とする支配体制の運命のために、すなわち天皇制国家のために、義務を勇気を持ってはたして国家の為につくしなさい。
 上記はお前ら国民が、私天皇に忠孝をつくすというだけではなく、お前らの祖先の美風を明らかにすることにもなるのだ。


これが天皇の祖先の家訓であり、その子孫たる私やお前ら国民の守るべきことだ。これは古今にわたって過ちのないものであり、また外国(例えば朝鮮やアメリカ)で言っても間違いのないものだ。私、天皇はお前ら国民が私と一緒にこれを大切に守って、皆この道を体得し実践することを望むものである。

教育勅語 原文(明治20年)>

朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン


斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ


明治二十三年十月三十日 御名御璽


(参考:読み)
朕惟(ちんおも)フニ、我カ皇祖皇宗(こうそこうそう)國ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠(こうえん)ニ徳(とく)ヲ樹(た)ツルコト深厚(しんこう)ナリ。
 我カ臣民、克(よ)ク忠ニ克ク孝ニ、億兆心を一(いち)ニシテ世々(よよ)厥(そ)ノ美ヲ濟(な)セルハ此(こ)レ我カ國體(こくたい)ノ精華(せいか)ニシテ教育の淵源(えんげん)亦(また)實(じつ)ニ此(ここ)ニ存ス
 爾(なんじ)臣民、父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ、朋友相信シ、恭儉(きょうけん)己(おの)レヲ持シ、博愛衆ニ及ホシ、學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發(けいはつ)シ、徳器(とっき)ヲ成就シ、進テ公益ヲ廣(ひろ)メ、世務ヲ開キ、常ニ國憲ヲ重シ、國法ニ遵(したが)ヒ、一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮(てんじょうむきゅう)ノ皇運ヲ扶翼(ふよく)スヘシ。是(かく)ノ如キハ、獨(ひと)リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰(けんしょう)スルニ足ラン。
 斯(こ)ノ道ハ、實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶(とも)ニ遵守スヘキ所、之ヲ古今ニ通シテ謬(あやま)ラス之ヲ中外ニ施シテ悖(もと)ラス。朕爾臣民ト倶ニ拳々(けんけん)服膺(ふくよう)シテ咸(みな)其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾(こひねが)フ。

教育勅語に関する全文通釈(文部省図書局、1930年)

朕がおもうに、我がご祖先の方々が国をおはじめになったことは、きわめて宏遠であり、徳をお立てになったことはきわめて深く厚くあらせられ、また、我が臣民は、よく忠に励みよく孝を尽くし、国中のすべての者が皆心を一にして代々美風をつくりあげて来た。


之は我が国柄の精髄であって、教育のもとずくところも、また、実にここにある。汝臣民は、父母に孝行を尽くし、兄弟姉妹仲良くし、夫婦は互いにむつみ合い、朋友互いに信義をもって交わり、へりくだって気ままの振る舞いをせず、人々に対して慈愛を及ぼすようにし、学問を修め業務を習って、知識才能を養い、善良有為の人物となり、進んで公共の利益を広め、世のためになる仕事をおこし、常に皇室典範並びに憲法を初め諸々の法令を遵守し、万一危急の大事が起きたならば、大義にもとずいて勇気をふるい、一身を捧げて皇室国家のためにつくせ。


こうして、神勅のまにまにてんちとともに、窮まりなき宝祚の御栄をたすけ奉れ。このようにすることは、ただに朕に対して忠良な臣民であるばかりでなく、それがとりもなおさず、汝らの、祖先の残した美風をはっきりあらわすことになる。


ここに示した道は、実に我がご先祖のお残しになった御訓であって、皇祖皇宗の子孫たる者および臣民たる者が、ともに従い守るべきところである。この道は古今を貫いて永久に間違いがなく、また我が国はもとより外国でとり用いても正しい道である。


朕は汝臣民と一緒にこの道を大切に守って、皆この道を体得、実践することを切に望む。
http://www.ne.jp/asahi/shonan/bv/new_page_36.htm


教育勅語に関する全文通釈(国民道徳協会、?年)

私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。そして、国民は忠孝両全の道を全うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。 


  国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。そして、これらのことは、善良な国民としての当然の努めであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。


  このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、この教えは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、間違いのない道でありますから、私もまた国民の皆さんと共に、祖父の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。
http://www.meijijingu.or.jp/about/3-4.html

教育勅語に関する権威たる解釈

勅語衍義」(井上哲次郎集 第1巻、第9巻 クレス出版 所収)
以下、続く