ネグリまたはマルチチュードに関してメモ

以下は2008年3月29日東大、3月30日芸大、で開かれたアントニオ・ネグリ氏に関する講演会に関してのメモ。(多少いじる)
東大イベント:http://www.negritokyo.org/todai/
芸大イベント:http://www.negritokyo.org/geidai/

ネグリ氏からの質問

東大のイベントではネグリ氏は日本人に対して次の質問を用意していた、しかし討議する時間はなかったのが残念。
「(日本では)デモ行進している一団は交通信号を守る。それはどういう事なのか、なぜ守るのですか?」
これに関して私が思い出すネグリ氏の言葉は、「<帝国>より先にマルチチュードが存在するのであり、<帝国>のためにマルチチュードがあるのではない」これに似たことを先日のテレ朝の朝まで生テレビで「反貧困」(岩波新書)を書いた湯浅誠氏が言っていましたね。

ワーキングプアは次の仕事がなければ死ぬしかない所に追い詰められている。経団連は日本の景気回復や国際競争力アップのため我慢しろというが、ワーキングプアから見て、何もしてくれないのならば国家など存在する意味はない」

abesinzou 2008/04/01 19:07

私もネグリのイベントに東大へも芸大へも行きましたが、芸大のはあまりにダメダメでかえって面白かったですね。おそらく芸大ではネグリマルチチュードを使って外部の芸術(=新しい芸術)を想像/創造する知的ヒントを討論したかったのでしょう。
さて、芸大の3/30 13:30からの討論は面白かったですね。私は田中泯も廣瀬教授のいう事もよくわかる気がする。

 そこで敢えて対立点がわかるように質問します。


(1)田中泯が僻地で一人農業をしてもそれは商品経済という形で全体の「生産」に組み込まれている、彼は自分ではネグリの言う事と関係ないと思ってもそれは単に自分の状況が見えていないだけだ。田中泯は「内部しかない」と開きなおったが、内部の芸術=旧弊で既知の芸術でありそれはよい芸術ではない。芸術家は全て現在形で未知の芸術=外部の芸術を目指している訳で、その点で田中泯も常に外部を目指している筈だ。田中泯には自分のしている事が判っていない。結局田中にはネグリの言う現在の問題点・対立点を理解できず、内閉し自己反復しているだけだろう。


(2)もう一つ芸大討論会に決定的に欠けてるのは政治的な視点でしょう。アフリカの国がEUの補助金つきの安い農業生産物輸出の為に国内農業が成り立たず、貧困にあえぐ姿がある。又コーヒーなどの農産物は先進国市場が定める不当に安い価格(まさに<帝国>!)のため本来期待できる対価を受け取れない。こうした姿を多くの人々は問題にするしネグリは理論化し一般化して記述している。貴殿はアフリカにも行かれたようですが、アフリカの人々が幸福になれないのはこうした豊かな国の国民の無理解の為ではないのですか?あの議論は本来それを抉り出していたはずでは?

田中泯も含め芸大の芸術家にはそれがまったく視野にないように思う。それで芸術はよいのか?既に人々の関心がそこにある時に芸術家はそれが政治的だ、という理由で無視していいのか?

abesinzou 2008/04/05 01:45

私の関心は社会やメディアや芸術なのでネグリの本自体ではなく、その具体化にしか関心がない。その点で東大の上野千鶴子の発言は大変刺激されました。しかしせっかくの機会なので多少のQ&A。


>質問1:田中泯が全体の「生産」に組み込まれている証拠
今農業を仕事にしていても完全孤立は不可能です、生産物を販売し現金を得なければならない。価格は市場が決め、その市場はいまや世界とつながっている、田中の作った野菜の価格はアフリカのものと比べられ、その比較の時には<帝国>が介在する。アフリカの農民がEUから輸入された商品と競合するのも同じ意味です。


廣瀬氏は「芸術とマルチチュード」の後書きでネグリの認識の基礎(第1段)は、「資本のもとへの実質的包摂による生産物」としての「ポスト近代」を「いま、ここ」のただなかにおいて同定してみせることである。としています。ネグリは人々が完全に包摂されるという事を言っていると思います。


>質問2:内部とはどういうこと?田中の内部とabesinnzouの内部は同じなのか?その根拠は?
最も大きな根拠は私は田中泯のような旧弊で老齢でベテランの専門芸術家を身近に知っており、彼の思考から類推すればこれ以外ないと思うからです。芸術家は常に新しい真の世界を表現することを目指している、それは普通は内部にはなく外部にしかない。田中のような人間が外部と言われればそれを考えるでしょう。


さて内部とは何か?ネグリの考え方と一致するのかは不明です。しかしネグリ講演集下のp51では内在性の思想をいい「この世界は外部を持たない、この世界の構築と必然性はこの世界の内部にある」としており更にマルチチュードの蜂起がそれまでの状態を変えもう一つの世界の樹立可能性を指摘しています。また廣瀬氏も「芸術とは前衛であり、前衛とは芸術である」とした上でネグリにとっては前衛とは、大衆の外部にあって指導するもの(前衛/大衆)ではなく、大衆そのものの内部にあるもの(前衛=大衆)だとしている、と後書きで書いていますね。


今までの芸術家は外部を求めて努力を続けたが、彼らは本来的にそこには外部など有り得ない事を知っていた。だから田中は内部しかないと「開き直った」。しかしネグリ&廣瀬は内部の意味の転換そのものを論じたかったのでしょうね。しかし私はそんな簡単に、芸術=前衛=内部=大衆に芸術的に良いものがあるとは思えませんが如何でしょう?


>質問3:ネグリの言う現在の問題点・対立点とは具体的に何?
これは<帝国>による人々の支配ではないですか?具体的にはグローバリゼーションによる様々な弊害でしょう。身近に言えばワーキングプアであり、アメリカの資本の論理が世界に戦争を招くこと、日本の商社がエビを買うため東南アジアの自然が破壊されることでは?


>質問4:あの場の議論はネグリの芸術に対する考えでは?
あなたの指摘通りだと思います。私は政治的な部分に関心があったので勘違いしていました。


>質問5:芸術とそれ以外の区別は?芸術はなぜ政治的であらねばならないのか?
ネグリの本(「芸術とは集団的労働であり、そのマチエールは抽象的な労働である」、p110)でも又あの場でも、生活=労働=芸術だ、従って区別はないのではありませんか?
 そして私としては今の芸術が目指すべきはそうした政治的問題だと思う、なぜならそれが一番インパクトがありそうした作品が受け手に最も感銘を与えると思うから。またネグリの考え方を押し進めたとき、世界と鑑賞者の関わりが政治的で戦争状態にある事を示した作品を示すことが、最も前衛的で、緊急で、価値があるという結論になると思うからです、如何でしょう?

abesinzou 2008/04/05 02:02

>美術家がときに外部へと至るのは、偶然を利用するとき
これはあると思います、自分の芸術形式・方法論・問題意識をつきつめ、繰り返した際に、自分の論理思考の帰結ではなく何かの偶然が外部をかいま見せる、彼はそれを自分の形式の中で固定する事はあるのではないでしょうか。

abesinzou 2008/05/19 00:23

労働組合や自給自足の生活圏は、一度〈帝国〉に飲み込まれてしまった
>一度負けた旗印を掲げて、もう一度勝つことができるの
マルチチュードの説得力の薄さはこれに起因
ネグリはそんな事言っていませんよ。第1部の議論でも、自給自足の生活なんて今の世界には有り得ないと廣瀬氏も言っていたはず。まして労働組合なんてあてにしていない。


これは芸大の前日にあった東大でのネグリの催しで言われたいた事ですが、やはり日本語に訳さなかったのに問題があるのでしょう。翻訳家はマルチチュードとは「多数衆」で良いのでは、といっていましたよ。少数の支配者、資本家に対して、本質的に多数の人間が、それぞれの差異を保存したまま、それぞれ主張する、それがこれからの政治的主体だという事でありましょう。


これを今の日本にあてはめれば、選挙の際に、労働組合の組織票ではなく、様々な団体、個人がそれぞれ主張しながら結果として一つの流れを生み出す、というようなものでしょうね。

ある歴史修正主義者の愚行の顛末

lovelovedog氏(別名:愛・蔵太、旧ハンドル名:ホソキン、[H]、★まゆみ、細田)のはてなキーワードへの攻撃の顛末(歴史修正主義者lovelovedog氏の愚行)


2008年4月8日現在、lovelovedog氏がキーワード編集をやめ、掲示板での議論を完全な敗北のまま放棄し、自分のブログでも多くの方のコメントを拒否した。これにより彼は自分の間違いを受動的な形で認め、この件が一応終了したと思うので、後で事の始終を知りたい方の為に記録するものです。

<事件の概要>

はてなキーワード「集団自決」に関して集団自決がどのように日本軍に強いられたものかを書いたabesinzouの記述(2007年11月15日)に対し、lovelovedog氏はまるで文科省のようにその殆どの部分にイチャモンをつけ削除した。このため編集合戦が始まり他のキーワードに広がりながら約3ヶ月続いた。あきらめたabesinzouははてなリング歴史修正主義に反対します」のメンバーに協力を呼びかけた(2008年3月25日)。D_Amon氏により議論のための掲示板が作成され、多くの人が参加し議論が行われたがlovelovedog氏は自分の主張の正当性をまったく説明できないまま掲示板での議論から逃亡した(2008年3月28日)。彼は自分のブログで掲示板での議論を皮肉る記事をいくつも書き、更には沖縄戦に関して同様に挑発的な記事を書いたが、メンバーは基本的には挑発に乗らず無視したため、lovelovedog氏はついに沈黙した。(2008年4月8日)

<目次>

1.キーワードの編集経緯
2.キーワード編集の何が争われたか
3.lovelovedog対他者の論争経緯
4.abesinzouの考え方
5.最後に


<経過詳細>

1.キーワードの編集経緯

争われたキーワード:「集団自決」「富山真順」「歴史修正主義」「頭が悪い」

○キーワード「集団自決」

は現在2個存在する。これはlovelovedogが挑発用に同名のキーワードを作成したためで、一時期はなんと!5つあった


(A)(http://d.hatena.ne.jp/keyword/%bd%b8%c3%c4%bc%ab%b7%e8?kid=203830
2007/03/30 kechack氏が作成
2007/11/15 11:18:55 abesinzouが集団自決が日本軍の強制であったことが明確であるように詳しい内容に書き換える
これに対しlovelovedogによる攻撃が以降しつように続く(1ヶ月)
2007/12/03 16:38:26 id:buyobuyo氏がlovelovedogの攻撃を防ぐため出典を一部補正する形で修正(内容は実質的にabesinzou版と同じ)した。これ以降このまま安定する、この版が安定したのは別の(B)が存在したためと思われる。
2008/03/26 12:59:30 K416氏が細部を修正、今に至る。


(B)(http://d.hatena.ne.jp/keyword/%bd%b8%c3%c4%bc%ab%b7%e8?kid=221855
2007/11/20 lovelovedogが上記での争いでの挑発のために作成
2007/11/20 即日、abesinzouが上記(A)と同じになるよう修正、
これ以降lovelovedogによる攻撃がしつように続く(3ヶ月)、
2008/03/26 12:17:09 K416氏が呼びかけを受けてlovelovedog版を全面的に直し集団自決への軍の強制が明確になる形で修正、これ以降、今に至る。

○キーワード「富山真順

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%c9%d9%bb%b3%bf%bf%bd%e7?kid=222002
2007/11/22 09:55:15 lovelovedogがキーワード「集団自決」での争いを種に自分のブログを宣伝する形で作成
2007/11/25 23:51:19 abesinzouが富山真順氏の朝日新聞でのインタビューを追記し、より詳しく彼が兵事主任であり軍の自決命令を伝えた事を明確にする形で編集
これ以降lovelovedogによる攻撃が続く、lovelovedogは遊び半分に同名キーワードを作成し一時期は2つ存在した
2008/04/01 00:24:37 abesinzou版により安定

○キーワード「歴史修正主義

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%ce%f2%bb%cb%bd%a4%c0%b5%bc%e7%b5%c1
2004/10/20 hotsuma氏が作成
2007/12/01 以降、lovelovedogはキーワード「集団自決」での争いを種に、挑発のためこの中でキーワード「集団自決」を参照するように編集した
2007/12/01 23:31:18 abesinzouは対抗する形で、『歴史修正主義には「集団自決」が軍の強制ではないとする主張を含む』という形に書き加える
これ以降lovelovedogによる攻撃が続く、一時期は2つ存在し、その中でlovelovedogは個人中傷的なことを書いていた
2008/03/22 09:09:16 D_Amon氏がlovelovedog版を修正して、今に到る

○キーワード「頭が悪い」

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%c6%ac%a4%ac%b0%ad%a4%a4
2008/03/16 17:53:13 lovelovedogがabesinzouを中傷するために作成『id:abesinzou氏が自分の日記の中で使う中傷語。』と書いた
2008/03/16 18:38:13 abesinzouは『キーワードは個人的な中傷の為に使ってはいけない』として削除するように変更した
2008/03/16 即日、lovelovedogによる復帰と、遊び半分の編集が続く
これに対しabesinzouは削除、または空白化を要求した
2008/03/24 12:07:55 id:ktuo2002氏が中傷部分を削除して今に到る

2.キーワード編集の何が争われたか

結果的にたくさんの項目がいじられたが基本的には争点は以下だろう。
 1「集団自決」が軍の強制であった事
 2「富山真順」は兵事主任であり、軍の住民への自決せよという命令を伝えた事


abesinzouが上記をキーワードに詳細に書いたのに対し、lovelovedogはそれを削除しただけであり自分でそれに代わるもの、相反する事柄を書いた訳ではない。こうした削除のみの形の検閲/歴史修正主義的作業は、2007年3月明らかになった文科省の歴史教科書への邪な検定とまったく同じである。彼ら歴史修正主義者が記述の削除(簡単化)だけで満足するのは、「集団自決」という言葉の慣性を期待したもので、ただ住民が集団自決したと書けば知識のない一般人は、それが住民の自発的な意思によるものだと、自動的に解釈すると期待しているからである。従って歴史の事実を正しく伝えるためには、それが日本軍の強制であったことを付け加える事が大変重要になるのである。


この中でabesinzouは特にチビチリガマでは小さな子どもまで死に、それを政府編集の歴史書では自分の意思だとしている実態や、1945年8月の時点で既に住民が、日本軍のデマにより自決する羽目になったのであり、日本軍に対し相当な反感を抱いていた事を書き加えた。これらは一般的にはあまり知られていないことだが、関係者の証言を聞いた方には容易に理解できることでしょう。


兵事主任が軍の命令を伝えたか否かについては、富山真順氏のインタビューがありそれを沖縄戦研究者が自分の研究の中で伝えている。lovelovedogはそれだけでは不十分として、削除し、なおかつ自分の曖昧な疑問にすぎないブログを引用していた。


これら両者の具体的な記載は以下を参照されたい。

abesinzouのキーワード「集団自決」記載内容

集団による自害。狭義では沖縄戦など、太平洋戦争での民間人の強制集団死。
「集団自決」という言葉は戦後使用されはじめたもので、当時は玉砕と言っていた。現在ではその実態が字句と異なるので<強制集団死>あるいは<集団死>、または括弧づけで表記されることが多い。現在2008年度教科書に反映される専門家の見解が公開されている林博史(関東学院大学)の文科省への回答書


<日本軍の強制であるのかについて> 
自決とは元来軍人が自ら責任をとって死ぬことであり、沖縄戦でいう「集団自決」では自分で判断できようもない14歳以下の子どもも多く死んでいる(注1)。当時、住民は米軍に捕まればむごたらしく殺されると、日本軍から教え込まれたが、実際に捕まった時にはまったくそのような事はなく、日本軍(友軍と呼んだ)に騙された、日本軍に死に追い込まれた、という認識がすぐに広まった。また玉砕せよと訓話をし、手榴弾を渡した当の日本軍指揮官が、実際には投降したことも、大きな怒りと認識の転換をもたらした(注2)。こうした事から戦後早くに編集された聞き取り記録(1950年「鉄の暴風」)でも、日本軍に命令されたという書き方になっており、その後も体験者の認識はそうした点で一致している。
 戦後この点に関する専門家の研究では、(1)皇民化教育により住民が死ぬことに抵抗がなかった全体的な状況がまず重視された、しかしその後研究が進み(2)住民全員を死ぬまで戦闘に協力させる沖縄軍全体の方針(「軍官民共生共死の一体化」という言葉で表現されている)があり、日本軍が最後の瞬間まで住民を利用する方針だったこと、(3)米軍が迫ったら「死になさい」という具体的・直接的な日本軍による訓示が広く行われ、米軍に捕まれば女は陵辱された上で殺され、男は目や鼻を削ぐなど凄惨なやり方で全員殺されるというデマの教え込みがあったこと、(4)実際に米軍が上陸した時には日本軍管理下の手榴弾の手渡しなどを行っていること、などから段階的・具体的に軍による強制がなければおきなかった事態と考えられている。
 また軍による強制であることは、軍が同居していない場合は住民は死んでいないケースとの比較などからも具体的に指摘されている。石原昌家氏や林博史氏などが指摘するのは、本島の「チビチリガマ」では退役軍人(在郷軍人とよばれる高齢の軍隊経験者)と従軍看護婦経験者の先導で集団自決が行われ、逆にすぐ近くの「シムクガマ」では英語のできる住民の先導により集団自決は起こらなかったことからよく理解できると解説している。
 

文科省は、2006年の教科書検定において、教科書の沖縄戦の集団自決に関して「日本軍に強いられた」という趣旨を書いた教科書7点すべてを「誤った理解をする恐れがある」として修正意見をつけ、各社は「集団自決に追い込まれた」などと軍の強制を削除した。(沖縄タイムス2007年3月31日(土) 朝刊 27面 ほか)文科省は判断基準を変えた理由を(1)慶良間諸島で自決を命じたと言われてきた元軍人やその遺族が05年、名誉棄損を訴えて訴訟を起こしている(2)近年の研究では、強制はなかったというのが主流である――などの状況からと説明している。
それに対し沖縄戦の専門家らは、(1)係争中の裁判での片方の主張のみを教科書の記述の参考にするのは間違っている(2)軍の強制を否定する学説はない、とその姿勢を厳しく批判している。、特に軍の強制を否定する学説については、研究者である林博史氏が「ない」と述べている。
 

またこうした「集団自決」という事件が沖縄戦における日本軍による住民殺害の一つの現れであり、久米島での虐殺事件などで知られている、スパイ容疑で住民を軍がなんの裁判もなく殺す、いわゆる沖縄戦での住民虐殺と同じ原因だと考えられている。


  注記1
例えば「チビチリガマ」の死者の1/3は14歳以下であり、実際的な事実として幼児なども親などにより無理心中させられている。しかし「援護法」の認定により14才以下の子どもも「集団自決」で死んだと認定されており、国(防衛庁)による公的な記録ではこれら子どもも「戦闘協力者」と分類し、防衛庁は彼ら幼児が、日本軍兵士の憂いを除くため自ら愛国的精神で死んだ、とその戦史に記している。「集団自決」という言葉が括弧づけで使われる理由の一端がここにあろう。
  注記2
慶良間島では、米軍に捕まったら死になさいと訓示した梅沢隊長は、住民が集団自決した後1ヶ月以上も、その任務である特攻をすることもなく自陣に籠もり続け、ついに自決することもなく米軍に投降した。あまつさえ食料事情のよくない中、太った「慰安婦」を連れて投降した。かつて友軍と呼び自分たちを守ってくれると思っていた住民はその姿に石を投げつけた。つまり1945年8月の段階で住民には、本来玉砕する必要はなかったし、日本軍が嘘を教え裏切ったことは明らかだった。米軍が壕を包囲した時、それ以前に保護された住民が自決せず投降するよう呼びかける事が多く行われたが、日本軍はそれを「スパイだ」として殺害した。集団自決がおきる上で、日本軍による嘘の情報と、投降しようとすれば逆に日本軍に殺されかねないという状況があり、住民にとって体験的に日本軍により追い込まれたものであることははっきりしていた。


<参考リンク>
文科省の検定意見書の実物「沖縄戦の実態について、誤解するおそれのある表現」
文科省の検定実態を取材:NHK番組クローズアップ現代“集団自決”62年目の証言 
集団自決がなぜ強制と言えるかについて、林博史氏(関東学院大学歴史学教授)の文科省への回答書

lovelovedogのキーワード「集団自決」記載内容

集団による自害。狭義では沖縄戦など、太平洋戦争での民間人の強制集団死。

abesinzouのキーワード「富山真順」記載内容

旧名新城真順。沖縄戦時に渡嘉敷村の<兵事主任>だった人物で、「集団自決」の命令を受けたと証言している人物。


兵事主任」は軍の命令を民間人に伝える、きわめて重要な人物であると、沖縄戦史研究家は説明している。兵事主任が重要な役職であることは、例えば2007年8月5日NHKで放送された「NHKアーカイブス・村を変えた246枚の召集令状・NHKスペシャ赤紙が来た村〜誰がなぜ戦場へ送られたのか〜」などが参考になる。兵事主任は本来、召集業務(召集令状を誰に出すか決め、配付する)を行う役人であるが、沖縄戦においては、それに加えて、現地軍指揮官と相談して軍が現地で防衛隊の召集する人数や対象者を決め、軍と民間人をつなぐ役目をおった。更に、陣地構築など軍の作業に現地住民を協力させる上での連絡役となった。
 こうした経緯から、「集団自決」の命令伝達においても、兵事主任から自決命令がくるのは自然であったし、それが軍の命令であることは、住民には自明のこととして受け取られた。
 なお、曽野綾子がその著書「ある神話の背景」で、渡嘉敷島での住民へ取材をした際には、富山真順には話を聞いていないことが、1990年代の家永教科書裁判での証人尋問で明らかになっている。曽野綾子は島に10日程度滞在した取材を元に住民への自決命令は確認できないと書いたが、最も重要な人物には取材していないことになる。


<「私は自決命令を受けました」富山真順さんへのインタビュー>
出典:朝日新聞1988年6月16日(夕刊)、1945年当時の渡嘉敷村兵事主任・富山(新城)真順さんへの取材から。見出し:軍の自決命令 私は聞いた〜渡嘉敷島の「住民集団死」・当時の役場兵事主任ら証言〜呼集し手榴弾配る・まず攻撃、残る一個で…

 陸軍を負傷で除隊した富山さんは、1942年(昭和17年)、郷里渡嘉敷村(当時の人口約1300人)の役場に入った。軍隊に詳しいので、翌年、兵事主任に任命される。徴兵のための兵籍簿の管理、予備役兵の定期点呼、出征兵士の身上調査など、村の軍関係事務のすべてを担当する重いポストだった。
   (中略)
富山真順は言う「島がやられる2、3日前だったから、恐らく3月20日ごろだったか。青年たちをすぐ集めろ、と近くの国民学校にいた軍から命令が来た」「中隊にいる、俗に兵器軍曹と呼ばれる下士官。その人が兵隊二人に手榴弾の木箱を一つずつ担がせて役場へ来たさ」

 少年たちへ、一人2個ずつ手榴弾を配ってから兵器軍曹は命令した。「いいか、敵に遭遇したら、1個で攻撃せよ。捕虜となる恐れがあるときは、残る1個で自決せよ」。一兵たりとも捕虜になってはならない、と軍曹は言った。

 43年後の今になって、なぜ初めてこの証言を?富山さんは答えた。「玉砕場のことなどは何度も話してきた。しかし、あの玉砕が、軍の命令でも強制でもなかったなどと、今になって言われようとは夢にも思わなかった。当時の役場職員で生きているのは、もうわたし一人。知れきったことのつもりだったが、あらためて証言しておこうと思った」

lovelovedogのキーワード「富山真順」記載内容

沖縄戦時に渡嘉敷村兵事主任だった人物で、「集団自決」の命令があったと主張している人物。

 「兵事主任」は「軍の命令を民間人に伝える、きわめて重要な人物」と、沖縄戦史研究家の安仁屋政昭は主張しているが、そのような事実は確認できず、また安仁屋政昭氏とその周辺の研究者以外からもそのような事実は確認されていない。googleで検索しても、戦史的に重要な役割を果たしたと思われる兵事主任は「富山真順」氏以外に存在しない。

 参考テキスト:「兵事主任」ってそんなに「重要な役割」なのか?

 軍の命令を伝えるのは「村長」もしくはそれに準じる役職の人間であり、「兵事主任を兼任している助役」(座間味村の「宮里盛秀」氏など)である。

3.lovelovedog対他者の論争経緯

(1)よびかけ

2008年3月21日、abesinnzouはこのままではキーワードを守りきれないと判断したため、ブログ「はてなに対する歴史修正主義者の攻撃に一緒に対抗してください」を作成し、はてなリング歴史修正主義に反対します」のメンバーへトラックバックと以下のコメントを送った。

はてなりんぐ「歴史修正主義に反対します」の皆さんにコメントしています。
はてなキーワードに対して歴史修正主義者から攻撃がされています。是非幣ブログの事情を読んでご協力ください。
http://d.hatena.ne.jp/abesinzou/20080322

即座にD_Amon氏により議論のための掲示板「歴史修正主義とは何か」(http://norevisionism.g.hatena.ne.jp/bbs/2)が作成された(2008/03/22 00:07)。

(2)掲示板での議論

私の知らない間に掲示板「歴史修正主義とは何か」での議論はどんどん進んだようだ。当初lovelovedogは相手を愚弄したい欲求を満足できるだろうと、大喜びでどんどん書いたように見える。このため私が気づいたときには既に、id:hokusyu氏が実際的で冷静なコメントを書き、おおまかな議論が見えていた。lovelovedog氏は複数の相手にさも優勢なつもりで書いていたため私は論点を狭く絞る事が大事と考え、以下のような質問だけにした。


掲示板でのabesinzouの質問>
http://norevisionism.g.hatena.ne.jp/bbs/2/11)(2008/03/23 02:12)

「lovelovedog氏に尋ねたい事はたくさんあるが、私以外の人のために、あえて非常に絞って尋ねます。
 あなた自身が「安仁屋政昭教授が兵事主任が命令を伝達したとしている」と書いていると思う。安仁屋政昭氏は、歴史学者であり、沖縄戦の専門家です。あなたはその記述をなぜ否定するのですか?なぜ安仁屋政昭氏より、自分の勝手な想像(それは伝聞だから信用できない)を優先するのですか?
 そういう判断は日本の社会はしないと思う(文科省でさえ”表面上”はしていません)。即ちある歴史的事実について、公の場でそれをどう記述するか(共有すべき記述)は、専門家の意見が通常採用されます。あなたはなぜその専門家の意見を否定するのですか?」


しかしlovelovedog氏はこの私の最初の質問にさえ結局答えなかった。その中で出てきたのが
  「そんなことはどうでもいい」(http://norevisionism.g.hatena.ne.jp/bbs/2/32
相手の論点に真面目に対応する気のまったくない返答に私は驚いたし、同時にこの議論は終ったと感じた。なので私は
  「lovelovedogさん、あんた何様?」
とし繰り返し同じ問いを発しました。
  「もう一度問う、あなたはなぜ日本社会のルール:ある事物についてはその分野の専門家の意見を尊重する、に従わないのか?」(http://norevisionism.g.hatena.ne.jp/bbs/2/43


この後もlovelovedog氏は他の論者へも同じようにまったく真面目に応答せず、彼がキーワード編集を行った理由「兵事主任が軍の命令を受けたとなぜ言えるのか?」について実質的には何も提示しないまま、そして彼が答えるべきたくさんの宿題を残したまま議論をやめると自分のブログで宣言しました。そのため私は彼の逃走を彼自身に確認させるため、宿題をまとめた記事を書きました。
「lovelovedog君は以下に答えるべきだ」http://d.hatena.ne.jp/abesinzou/20080328


D_Amon氏、hokusyu氏、Apeman氏、anemone-osakana氏、ni0615氏、nagaikazu(永井和)氏など、私以外の方はより直接的に、兵事主任が当事全国にあった一般的な仕事であり、そう呼ばれた例がたくさんあることを示してくれたと思います。又最初のhokusyu氏の議論は独自研究というウィキペディアの概念を使ってlovelovedog氏の思考方法がおかしい事を示してくれたと思いますし、これは私が質問した「専門家の意見をなぜ尊重しないのか?」と内容的には同じだと思います。


(3)愛・蔵太氏のブログの様子

lovelovedog氏は、実は2005年ころから沖縄戦集団自決に関心を持ち、2006年9月8日からは「ある神話の背景」を書いた曽野綾子と批判された沖縄タイムズ記者との議論を自力で数10ページにもおよぶテキスト入力を行っています。このテキストは一般的には知られていないもので沖縄戦への彼の関心と知識は非常に高いというべきです。彼はそのブログの中で安仁屋教授の裁判での意見書も引用していますが、これは沖縄戦「集団自決」が軍の強制であることを非常に明確に実証的に説明したもので、こうした資料を読んでいながらキーワード「集団自決」を非常に原始的な状態に止めようとした彼の意図は、文科省と同じ意図(悪意)を内包したものだと思います。


簡単に言えば、lovelovedog氏は2005年の早い時期から集団自決について詳しい知識を持ち、専門家が集団自決とは軍の強制であるとしているのを知りながら、わざと兵事主任という小さな部分で異議を唱える事で「集団自決」に関してキーワードを荒らした、と私は推測しています。


私とのキーワードの編集合戦が始まってからも愛・蔵太は何回もそれをネタに記事を書いていますが勿論私と話し合おうなどという姿勢はありません。また掲示板での議論が始まってからもいくつもブログを書いていますが、兵事主任に関する彼の疑問や、彼のキーワード編集を正当化するものは一つもありません。それらは沖縄戦に関するものですが、掲示板での論点をはずれたもので、タイトルだけを見れば何か新しい事実を指摘したかに見えるかもしれませんが、実際には何も新しいものはありません。彼がこの時期にこうしたブログを書いた動機は、挑発により自分のブログに議論相手を集め、怒らせ、自分を非難させて、その上で「僕ちゃんは何も悪い所はないのに悪口を言う人がいルウ」として、逆に非難して楽しむためだったと推測します。しかし実際には、誰も挑発にのりませんでした。


私はこれらのブログに対しては、以下のようにあくまで掲示板での議論に戻るよう、呼びかけるだけでした。なぜなら、いつ削除や拒否にあうかもしれない彼のブログの上では議論は不可能であり、上記の挑発を警戒したからです。lovelovedog氏はそれにじれたらしく「abesinzouは同じことしかコメントしない事」を理由に私がコメントするのをシステムを使って拒否しました。

<私abesinzouの彼へのコメント欄での呼びかけ>

abesinzou 2008/03/29 23:48(彼の4/1ブログのコメント欄にて)

lovelovedogさん、集団自決について他人と意見交換をしたいのら、専用の掲示板が用意されているのでそちらに書いていただけませんか?そこならあなたが望めばいくらでも、納得がいくまで回答が得られると思いますよ。加えて私が既にお知らせしたように、あなたにはそこで答えるべき宿題がいくつもあります。
 こうした状況で、集団自決に関して他人のブログのあてこすりをするなんて、結局「開かれた場所での議論に負けたから」自分の穴蔵で、憂さ晴らしをしていると思われても仕方がないのでは?今の状況でこんなことをするなんて、もしかして「頭が悪い」と誰かに書かれても不思議ではないのでは?自分は「頭は悪くない」と述べているあなた、プライドの高いあなたなら、そういうありもしない(が、でてきても不思議のない)疑惑を晴らすべきではありませんか?

是非、議論の場で意見を述べ他者からの質問に答えてください。
議論の場(既にlovelovedog氏も発言してる):http://norevisionism.g.hatena.ne.jp/bbs/2
lovelovedog氏の宿題:http://d.hatena.ne.jp/abesinzou/20080328
以上です

4.abesinzouの考え方

本件に関して以下の点で疑問を持たれた方も多いと思います。

(1)私が、なぜキーワード「集団自決」を守ることにこだわったか、
(2)なぜ編集合戦開始初期に愛・蔵太と話し合おうとしなかったのか、
(3)なぜ多くの人間にキーワード編集に参加するよう呼びかけたか、
(4)なぜlovelovedog氏を厳しく批判し、頭が悪いなどと非難したか、


これについては、今までのブログや他の方のコメント欄で少しずつ明らかにしてきましたし、上記までの経緯の中でも少しずつ書きました。それなので、ごく簡単に理由を書きます。


(1)沖縄戦の正しい歴史認識のために、はてなキーワードはネット上での露出度が高く、宣伝・教育効果が高いからです。この点で最も効果が高いのはウィキペディアでしょうが、Googleに頼った場合はてなキーワードはそれにつぐ高い参照度合いを持つと思われるからです。


(2)通常の相手であれば話し合ったと思います。しかし私は編集合戦開始以前から愛・蔵太氏が沖縄戦に異様な関心があり、かつ偏った記事を書いていることを知っていましたので、懐疑的でした。また編集合戦開始以降に彼が書いたブログの内容はそれを裏付けるものでした。またウィキペディアと異なり話しあう場所もありませんでした。そしてD_Amon氏が作成した掲示板での彼の様子はそれを裏付けてくれました。


(3)3ヶ月にわたる編集合戦の中で、私が理解したのははてなキーワードの場合、話合いで論理的に相手に納得させても、実際には相手の編集を阻止する方法はないことです。ネットシステム「はてなダイアリー」にはそうした細かい機能はなく、結局キーワードは利用者(はてな市民)の模擬的な民主主義によって定まると判断したからです。即ち最も大事なのはネット上においても民主主義であるという事です。


(4)私も呼びかけまではlovelovedog氏について詳しくは知りませんでした。しかしその後の情報収集の結果、彼が●●社の雑誌編集者●●●氏であり、今も以前のネット上の名前を変えない事で実際には自分の意図により、実名でネット上で活動している事を知ったからです。これは2chなどで匿名で妄言を書くことより、より下劣で非難されるべきことです。彼はこの点で社会的責任を負うべきです。

加えてApeman氏との論争を読めば、彼が2006年ころから既にかなり年季の入った歴史修正主義者であることも明確です(付記1)
また彼の1990年ころからの10年以上のネット上の行動を知れば、それが一貫して他人を貶すことにだけ楽しみを見出す人間であることも確かだからです。(付記2)


5.最後に

最後に、掲示板での議論に参加して下さった方々に感謝したいと思います。またキーワードを実際に編集していただいたid:K416氏にも感謝したいと思います。そして何よりはてなリング歴史修正主義に反対します」を作成し、私の呼びかけに即応して掲示板を作成、キーワード編集にも参加いただいたid:D_Amon氏には特に感謝したい、このリングがなければネット上の民主主義なども実際には実現不可能であったと思います。


おそらく、この件に参加したいと思いながら様子を見ていた方、更に上記のように何らかの形で参加した方の中にも、私abesinzouのやり方や論調に反感や不快感を覚えた方もいるでしょう。それらの方には、まず不快感を与えた事をお詫びしたいと思います。ただそれらは上記のような私の意図と動機によるものであり、上記で書いたような目的のためであった事を理解いただきたいのです。とは言うものの、不快は不快であり各人が感じたものは実際その通りだとは思います。その点は目的の為の過程であり、どうぞご容赦いただきたいとお願いしたいと思います。


====================
付記1:Apeman氏は下記のように書いている
『私の評価は次の通りです。問題の発端は『文藝春秋』に対するサイモン・ウィーゼンタール・センターの抗議の背後に「焚きつけている人たち(団体)」がいる、とlovelovedog氏が示唆したことです。彼は当事者に問い合わせることもせず、SWCに協力している日本人についての「ネット」上の情報だけをもとに、『文藝春秋』の記事の趣旨が歪められてSWCに伝わった、日本人が抗議を「煽った」としたのです。その際、彼は抗議の対象となった記事と抗議文(『文藝春秋』に翻訳が掲載された)とを照らし合わせるという作業すらしていません。自分にとって好都合な“事実”は実に安易に認定し、都合の悪い“事実”に対しては不可知論・懐疑主義を盾に異様に高いハードルを設定する手法、人格攻撃の手法に至るまで今回の事例とそっくりである、と思います。』
http://d.hatena.ne.jp/iteau/20080331/p1のコメント欄にて)


付記2:●●●氏の過去の行動:http://web.archive.org/web/20021014100333/nanjy.tripod.co.jp/jasui.html[要エンコード変換]
その他:http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana/hondana970824.htm


付記3:この記事は本来は4/9にアップしたものですが、はてな運営側からのメールにより一度削除し、修正の上再度アップしたものです。コメント欄も同じ内容を記入しなおしてあります。

ある歴史家のlovelovedog氏の評価とその結果

メモ:id:nagaikazu氏の以下のコメントおよびその結果を保存するため
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20080404#p2

nagaikazu 2008/04/05 14:27
(前略)lovelovedogさんは「一般人」ではないでしょう。ブログをざっと拝見しただけですが、あの方の書物に対する知識、読書量は「一般人」の域をこえており、私ごときただの専門バカは、足もとにもおよびません。「一般人」としたのでは、lovelovedogさんに失礼だと思いますよ。


それから、lovelovedogさんは、裏・歴史学ともいうべき(この場合の歴史学とは史料実証主義という方法くらいの意味です)の方法を意図的にとっているので、その面かしてもとうてい「一般人」とはいえません。


通常の「史料実証主義」はテクストをコンテクストにそって読みます。そのためにいわゆる「専門的知識」の蓄積が必要とされます。しかし、lovelovedogさんは、テクストをコンテクストから独立させて読むわけです。そのうえで、テクストの命題としての妥当性を裏づける絶対的根拠は何かと問い(問いのデーモンと化す)、あるいは独立したテクスト相互の矛盾性を指摘することで、テクスト全体の信頼性およびテクストの通常の(コンテクストにそった)解釈を揺るがせようとする、そういう方法をとっています。


こういう方法からすれば、テクストをコンテクストにそって読むための「専門的知識」の蓄積はむしろ少ないほうがいいわけです。ですから、「少し調べる」だけで、それ以上調べるのは禁じ手となります。


今回の「兵事主任」はこの方法が完全に裏目に出てしまって、ブーメランのように自分のところに戻ってきた例です。「少ししか調べなかった」ために、ご自分が(コンテキストから切り離されたために)「どう考えてもそれは嘘だろうというようなことを書いているテキスト」の発信者となってしまったのです。(後略)


その結果おきた、id:lovelovedog氏のブログ
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20080413/site

■[hoge]サイト名を変更します
 (前略)こないだの『廃墟の群盗』のリチャード・ウィドマークみたいに、ちょっと検索すればいいことも怠ってテキスト制作している状況だし*1、少し調べたいことが多くなりすぎて対応できていない状況なので、サイト名を


「愛・蔵太のもう少し調べて書きたい日記」に変更してみます。

感想:だが愛・蔵太氏の「もう少し調べて書く」のは映画の事だけなので、沖縄戦「集団自決」や南京大虐殺については、「少し調べて書く」のままなのであろう事は容易に想像できる。

ある歴史修正主義者の愚行の顛末

(注記)幣ブログ4/9の記事ははてなスタッフからの下記メールに従い削除し、5/10付けでアップし直しました


2008年4月16日メール

はてなスタッフの中川と申します。いつもはてなをご利用いただきありがとうございます。

さて、このたび、id:abesinzou様にご利用いただいているはてなダイアリーの下記記事
http://d.hatena.ne.jp/abesinzou/20080409
につきまして、現在は非公開の氏名や勤務先がハンドルネームと関連づいて紹介されており、プライバシーの侵害にあたるとして、細田均様より削除申し立てが参っております。

つきましては、削除についてご検討いただけますでしょうか。
もし、削除に応じられない場合には、その理由をお知らせください。申し立て者にお伝えいたします。

もし、情報の削除あるいはご返信がいただけない場合は、7日間の猶予をもってダイアリーを非公開とさせていただくことがございます。
どうかご了承ください。

当方の対応としては、申し立てなどは行わず、素直にメールによる要請に従いました。

ある中学生との対話(yousanotuさん)

本項は最終的な議論の終結までの一時的なもので、id:yousanotuさんがコメント欄を消さないように、それによって議論というものを理解して頂くための、一つの記録です。

abesinzouはid:yousanotuさんの3/30ブログコメント欄で以下の発言をしました。

abesinzou 2008/04/03 19:05

>abeshinzo氏は最初から、蔵田氏にある程度まで一対一で話合えばよかった
>いきなり集団で対抗しましょうはない
>人格攻撃、厭味、嘲笑、レッテル、罵倒(を蔵太を批判する側がしている)
私がなぜ呼びかけた理由の一部は、私のブログの3/23にpr3さんに答える形で書きました。おそらく貴殿は事件の経緯も私の意図もまったくわかっていないと思う、そこで問題をはっきりさせたいので尋ねたい。なぜ他の方に呼びかけたらいけないのですか?又人格攻撃や罵倒などが愛蔵田氏にされたと思いますか?私はあなたを非難しているのではなく議論によって理解を得たいのです、できればお返事下さい。

abesinzou 2008/04/04 02:40

イデオロギー集団で書くべきものなのかなキーワードは
まず、はてなリング歴史修正主義に反対する」はイデオロギー集団ではありません。そしてより重要なのはキーワード「集団自決」は今現在も貴殿や、愛・蔵太氏を含めて誰でも編集できることです。はてなキーワードをどういう状態で安定化しうるかは、簡単に言ってネット上の模擬的な民主主義(多数主義)によるものでしょう。これが私の3/22のブログで「はてなキーワードに何を書くのかを決定するのは、はてなの会員の責任」と書いた意味の一つです。
 しかし貴殿が本心では掲示板での議論の結果を尊重し、キーワードは論理的に現在の状態が望ましいと納得しているように感じているようで大変嬉しく思います。


>宣伝工作ですな
宣伝をしてはいけないのですか?ネットの上には慰安婦関係で誤った歴史知識を持った人のHPがたくさんあります。それは宣伝を目的に作られているのではありませんか?宣伝・教育・報道は正しい知識を得るためにはほぼ同じ意味(効果)を持つでしょう。そして正しい民主主義のためには正しい知識が必要でしょう。私が3/22ブログでノーマ・チョムスキーを引用したのこの意味でです。


>対抗意見はある。それらを自分らの政治思想で塗りつぶそうとする
あなたの認識は間違っています、その対立は政治的なものではありませんし対抗意見は過ちです。もしあなたが現在のキーワード慰安婦や集団自決に疑問があるなら徹底的に説明しますよ。幸い現在では「はてな」にそうした場がそれぞれ存在し私以外の方も一緒に説明してくれるでしょう。慰安婦http://ianhu.g.hatena.ne.jp/、集団自決=http://norevisionism.g.hatena.ne.jp/bbs/2
是非質問を書き込み徹底的に議論ください、その後でまた話せるでしょう。


>上の自分の文章や、はてブのコメントみてどう
lovelovedog氏が、歪んだ事実把握の思考形式を持ち、議論で論理的に自分の正当性を示せなかったため議論の場から逃げ出し、それによって自分の不当さを隠したと、私は書いているのです。lovelovedog氏について私は厳しく書いていますが、これらは不当なものではありません、なぜなら彼にはそうした過去の悪い実績があり、最近の悪い行動があるからです。おそらくあなたが私の見方を不当なものだと感じるのは上記の歴史事実の認識と関係しているのでしょう。従ってこれらも上記の議論の中で明らかになると思います。


貴殿とは論理的に議論できれば非常によい結果が得られると確信しています。是非疑問があれば議論の中で解決下さい。

abesinzou 2008/04/08 00:24

yousanotuさんへ
あなたは結局掲示板で議論することが怖いようですね。あなたは従軍慰安婦についても集団自決について、自分ではほとんど何も知らないし、またどちらかの主張を真面目に読んだこともないように思います。従って私から見てあなたが今までここで示した曖昧な疑問はなんの意味もありません。


さて、あなたは自分の質問に答えなければコメントするな、という事ですのでこれ以上ここで発言するのはやめておきましょう。しかしそれはあなたのここで曖昧な疑問を容認したからではありません。他の問題となる場所であなたがこうした事柄について発言すれば、厳しい議論の対象になるでしょうね。


念のために書いておきますが掲示板で発言している人の多くは、永井和氏(京大)を始めこうした歴史的な事柄に詳しい方で、あなたから具体的な質問があれば十分な回答が得られるでしょう(勿論私も含めて)。あなたがリアル社会での一般的な行動のようにそこで意見交換をしていれば即座に、自分の疑問の間違いや意見交換のあるべき姿などについて学べると思います。


しかしあなたがこのように自分の曖昧な疑問だけを内包したまま、その疑問だけを根拠に意見を述べればけして変わるチャンスはないでしょう。なぜならあなたは新しい情報を得る機会を自ら回避しているからです。


ブログで(又他の場所でも)自分の意見を述べるのは個人の自由ですが、それが間違ったものであれば、なんらかの形で公開さえしていればそこで厳しい批判がつくのは当たり前でしょう。それが議論にならないのはlovelovedog氏のように、コメントを拒否し「引きこもった」時だけです。


abesinzou 2008/04/08 15:02

yousanotuさんへ
>こんな風にブログで蔵太さんと話し合えばよかった
あなたはかつてこのように書いた。しかしbuyobuyo氏とはまるで「話し合おう」という気はあなたにはないように思いますよ。同じようにあなたは掲示板で「話し合う」事を怖がっている。


もしこの文章を中傷だとあなたが感じるなら、それは間違いです。これは単純に言って他者から見た事実だからです。総合するとあなたは議論の場では、他者からの異なった角度からの見方・自己の不備な点への指摘・総合的な批判に耐えられないだけのように「少し」思いました。


あなたが、そうしたものに耐えられなければ議論は不可能でしょう。そして、もしあなたが議論を拒否した上で今からキーワードに介入するなら、それは正に今のlovelovedog氏と同じです。それは歴史の事実を書くなどという行為ではなく、ただ他人を貶めたいが為のバトルでしょう。


私はそういう事は望みません、どうか掲示板であなたの疑問を提起し情報を交換してください。(何かの手違いで投稿できていなかったので再掲です)

abesinzou 2008/04/08 15:31

もう1点あなたはD_Amon氏作成の掲示板「歴史修正主義の定義について」(http://norevisionism.g.hatena.ne.jp/bbs/2)で、なぜ議論せねばならないか、と書いていますが。それは、あそこが望ましい議論のための用件を満たしているからです。即ち


<ネット上で望ましい議論を提供する「場」の要件>
1発言者の同一性の確認ができること
2削除・拒否・事後修正などの管理がなされないこと
3継続して参加でき、記録が残ること
4誰でも参加でき、なるべく多数の参加が可能なこと


2chでは1がないため議論になりません。個人のブログのコメントでは2が不可能で、通常、ブログ所有者の側の形勢が悪くなるとブログ所有者が削除や拒否をして議論の終結まで到りません。また削除にあうと3が満たされず、その発言者の過去の発言を参照できず情報共有や個人の考え方を知る上で大変な不都合が生じます。


つまり3が大事なのは(1)同じ議論を繰り返さずに済むからです、例えば知識不足から「集団自決」へ誤った認識の方がいても、過去の議論経緯を読めばそれだけで誤解が解消するでしょう。(2)そして継続的にそうした誤った主張をする人がいても、彼が過去に議論をし論理的に勝てなかったのが、明確ならば彼の行為自体の意図が、歴史的事実への疑いではない事が容易に推測できます。この場合周囲の人間から見て議論の進め方が変わるでしょう。4は言うまでもありません。


私から見て、あなたのようにD_Amon氏作成の掲示板での議論を嫌う人は、こうしたあるべき議論の姿自体を理解していないが為の悲しい「ひきこもり」に見えます。どうぞ開かれた議論の場で自分の疑問を解消してくださるようお願いします。

id:yousanotuさんがひこもったのでとりあえずの記録です

本ブログの目次

本ブログ「従軍慰安婦の深層」の目次


こんにちわ!本ブログは以下の慰安婦に関する研究書、参考サイト、研究者の活動、一般市民の活動成果をまとめたものです。特に慰安婦に関する研究書については、2006年末時点でほぼ全ての専門書の結果を反映し、日本人にとって関心の高い部分をダイジェストしたものになっていると自負しておりますので、一度覗いてみてください。


従軍慰安婦についての出典のはっきりした本当の話>
1章.従軍慰安婦とは何か
2章.慰安婦の強制連行はあったのか
3章.河野談話とは何か
4章.慰安婦を研究している人はなんと言っているか
5章.元慰安婦の証言は信用できるのか
6章.従軍慰安婦問題とは何か
(主な研究書からの慰安婦研究のまとめ)
<慰安婦に関する参考書一覧> 
<慰安婦に関するURL一覧>  
<慰安婦に関する意見ブログ一覧>



元従軍慰安婦の証言は信用できるのか?(1)
元従軍慰安婦の証言は信用できるのか?(2)

従軍慰安婦に関する研究者の声明
慰安婦強制連行の新証拠について(2008年5月)


秦郁彦の「慰安婦と戦場の性」の知られていない事実(1)
秦郁彦の「慰安婦と戦場の性」の知られていない事実(2)
秦郁彦が慰安婦は売春婦の根拠にした文書は実在するのか?
茂木弘道氏は「自分の無知を世界に発信する会」の活動をやめてくれ!


<番外編>
はてな会員にいる困った歴史修正主義者について(キーワード集団自決、富山真順、歴史修正主義を荒らす者)
歴史修正主義者lovelovedog君の集団自決に関する掲示板での宿題(彼がどのように議論に負けごまかして逃亡したか)

lovelovedogが政治について無知をさらけ出したので批判する

<lovelovedogが政治について無知をさらけ出したので批判する>

キーワード「集団自決」「富山真順」「歴史修正主義」を荒らして叱られたid:lovelovedogは政治性に関して馬鹿な事をブログ書いている。彼はあまりに無知であるのでここではきちんと批判しておく。
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20080403/gizi


歴史修正主義批判者のほうが圧倒的に自分の政治的立場を明言し
 一般に日本で歴史修正主義者とは、南京大虐殺を否定する人、従軍慰安婦の軍の強制性を否定する人、沖縄戦「集団自決」への軍の強制を否定する人を指しています。そしてそこで争われている事は、事実の有無であり、政治的見方の差ではありません。例えば南京大虐殺では、笠原十九司ら正統派の研究者が発表しているのは、当時の公式記録に捕虜殺害が記録されているという事実であり、それをどう見るかという政治性ではありません。また笠原氏は安保反対など、いわゆる政治的発言をした事はありません。


 慰安婦問題では吉見義明ら正統派研究者は、地道な研究で新事実を提示しており解釈の問題ではありません。昨年もいわゆる「広義の強制」も含めて日本軍の強制であったことを資料に基づいて新しく示しました。そして吉見氏が政治的主張をしたことなど聞いたことがありません。


 もしlovelovedogが自分のブログで、変な事を書くのなら、笠原十九司、吉見義明、林博文らがどんな政治的立場を明言したか、きちんと示すべきでしょう。それができないなら、それは正にlovelovedogの脳内妄想(勝手な思い込み)であり、彼は自分の「頭の悪さ」を又自分のブログに掲示したという事です。


>その左寄り的イデオロギーを丸出しにして
>右寄り批判と同じ手法で

lovelovedogは歴史修正主義に関する論争(例えば慰安婦の強制連行に関する論争)について、左翼−右翼の対立である、両方ともただの強引な主張、自己の考え方に沿った事件への恣意的な解釈によっていると考えているのでしょう。
   !これは完全な間違いです。!
これは典型的な幼稚な認識でしょう。彼の書いたのは2chの中学生並かそれ以下の、「頭が悪い」無知な記述でしょう。


 彼の間違いを列記すると
歴史修正主義的論争の両者とも自分の主張が政治的なものとはしていない
2議論の両者とも、少なくとも研究者については、議論の他の場所で政治的主張を行っていない
3正統派研究者の主張の根拠論点は一般的には知られていない細かい歴史的資料や当事者の証言であり、手法は実証的なものである
4いわゆる反対派がとっている手法は、正統派の多量の資料の中のある部分だけに、疑問を提示し、それにより正統派の主張全体を覆そうという方法であり、いわば針小棒大主義である。これはlovelovedog自身が兵事主任仕事内容が確認できないという疑問だけで、集団自決の記述全体を削除したキーワード編集の仕方によく表れている
5状況全般から言って、歴史修正主義での対立を左翼、右翼といった政治的カテゴリーに分類できない
6多くの未熟な中学生が間違えるように、漠然とした意味で、体制側=右翼、反体制側=左翼、と分類しているなら、それも間違いである。今や政治的対立は、自民党VS民主党に移り、55年体制の分類的には言えば両者とも保守であり、政治的には同じカテゴリーに属する。
7現在の政治的対立について真面目に議論されているのは、グローバリゼーションへの賛成/反対、アメリカ1国主義の是認/国連中心主義か、というべきものでイデオロギー対立ではない。そして現在の政治的対立を最もよく示している言葉は、アントニオ・ネグリの<帝国>対マルチチュードの対立であろう


特に4〜7の論点を知っていば、イデオロギーだ、などとまとめる事は如何に馬鹿げたまとめかをよくおわかりでしょう。



>普通の人間は−政治に興味持ってる人にたいして興味ない(というより、はっきり言ってウザいと思っている
 上記のアントニオ・ネグリの言う「マルチチュード」という概念を知っていれば、全ての人間がこうした政治的対立の当事者であることは自明の事です。ネグリは右翼−左翼に還元できない、現在の政治的な問題をその著書<帝国>で哲学的・政治的に提出しています。
 そこで対立する2者が<帝国>=国家という枠組を越えて権力の側または人々を支配する側マルチチュード=多数衆、本来的に多数であり、統一されておらず個々の考え方を持ち活動している民衆、群集、という事なのです。現在の政治的対立は過去のように国の中枢のある一部に集中するものではなく広い範囲で起きているとしているのです。


 また、普通の人間とは何か?投票を棄権するのが「普通の人間」なのか?それは明らかに日本のまともな教育内容に反しています。現在では日本の国家でさえも、国民が政治に関心を持ち投票する事を期待しています。政府自民党は現在16歳の高校生に、2年後に憲法に関心を持ち、改憲憲法9条を改悪することに賛成する事を期待しているのですよ。


 lovelovedogはこうした状況を理解できず現在の社会状況に対応できていない為、こうした妄言を吐くのでしょう。なんらかの意味で政治に挫折した50代のlovelovedogにとっては、左翼はあまりに痛すぎる言葉なのでしょう。また彼は漫画編集の仕事をしていながら、16歳の高校生という自分の仕事上の対象の状況さえ知らないようです、その点でも彼は「無知」で「頭が悪い」人間というべきでしょう。


イデオロギーなんて所詮幻想(ニセ現実)
 政治を語る事はダサい、かっこ悪いというのは既に過去の事でしょう。それを彼は察知しておらず自分のアンテナの弱さを露呈しているのです。彼が50代である事を考えると、その認識は彼への哀れみさえ感じさせる。なぜか?50代であるlovelovedogはおそらく60年代の安保闘争を経験しておりそこでの挫折から未だに立ち直れずにこうした妄言を吐くと容易に推測できるからだ。


 しかし、同じ50代で挫折を経験している上野千鶴子は、現在の変化を昨日(2008年3月29日)東大安田講堂で高らかに宣言しています。「これからは、ネグリの<帝国>/マルチチュードの概念を使い、日本人全員が政治を語るようになるだろう」と。上野千鶴子はこの愚かなlovelovedogと同じく、政治を語らない事がかっこいい時代があった事を認めた上で、現在は語る時代に移ったこと、その時の語る「言葉」は左翼−右翼ではなく、「ネグリの言葉」だろうとしているのです。


 ここに同じ50代の人間でもlovelovedog(=愚かな漫画編集者で愚劣なネット上の発言者)と上野千鶴子では大きな隔たりができました。彼がネット上で10年も他人に罵詈雑言を浴びせかけ、時間を浪費している間に「頭のよい」人たちは先に進んだのです。



lovelovedog、こいつは本当に「頭が悪い」、悪すぎる。